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幼稚園の思い出

3年保育だったのでぼくは3歳で幼稚園に入園した。初日のことは今でも覚えている。泣きじゃくって母親から離れられず、朝そのまま早退したのだ。その後のことは覚えていないが幼稚園のバスで問題なく通えるようになった。母親の話では幼稚園の先生がバス停で母親と一緒にいたぼくを人さらいのように連れ去ってバスに乗せていたそうである。

実家の近くには2つ幼稚園があったが、ぼくが行かなかった方は宗教法人が運営しており、それとは関係ないと思うがその幼稚園では園児はを常に手ぬぐいを携帯しなければならないことになっていて、母親がそれに不快感を示したのだった。ちなみのこの幼稚園の経営をしている家の子がぼくが中2で好きになった同級生の女の子だった。

幼稚園の記憶は連続してあるわけではなく断片の記憶として残っている。それらを書いていこうと思う。


まずは幼稚園の先生だ。全員が女の先生だった。園児でトランクスを履いてくる子がいて、彼は先生から

「柄パンを履いてきちゃだめ」

と言われていた。ぼくは白のブリーフよりもかっこいいし進んでるなぁと思った。先生たちはジャージを履いていることが多く、そのジャージにはサイドにストライプの模様が縦に入っていた。ぼくはそれを下から上によくなぞっていた。手が上のほうに近づいてくると先生が

「きゃっ」

とか言い出して飛び退くのだ。ぼくが線をなぞることを知っているから、先生同士が

「とらちゃん、線なぞってみて」

と言うのでぼくが下から上になぞると、先生はふたりできゃっきゃきゃっきゃしていた。園長先生も女の人でかなり年配だったせいかジャージは履いていなかった。なぜかぼくは園長先生のことを「えんちょうじかすい」と呼んでいた。じかすいとは自家水のことで、ぼくの家は井戸水だったのでその影響もあってか園長自家水と呼んでいた。

年中のとある日にうんこを漏らした。幼稚園のトイレは和式でうちは洋式だったので行けなかったのと、授業中に言い出せなかったから漏らしてしまった。先生がぼくのズボンとパンツを洗濯板で洗っていたのを覚えている。同級生から後ろ指をさされるようなことはなかった。

うんこ関連だと仲のよかった友達のうちの1人の誕生会で彼の家に行った時のこと。親戚の子や近所の子がたくさんきていて、ぼくは人見知りだからあまり話せずしゅんとしていた。そして事件は起きた。廊下にうんこが落ちていたのだ。それをおとなしくしていたぼくがやったとみんなに思われてしまった。否定したがあまり信じてもらえず、とんでもない誕生会だったので二度と行くもんかと思った。自分の誕生会はあまり友達を呼ばす、と言っても数人しか友達はいなかったのでささやかな雰囲気の会だった。ただ弟の誕生会では祖母がおもちゃに加えて10万円をあげていたのでぼくはもらっていないとふてくされた。

この友達はうちに遊びにくることも多々あり、当時ぼくは注射器に相当興味を持っていて自分で作れないかと思っていた。そこでペンを分解して中のインクがしみ込んだ綿みたいなものを取り出して色水を作り、ペンの先を取り外して裁縫をやっていた母のお針箱から手頃な針をくすねてペンの先に付け、色水を入れた自作の注射器を作っていた。幼稚園児のぼくは注射が嫌いということは全くなく、逆に注射器の構造がどうなっているのか知りたくて仕方がなかった。当時は針に穴があいているということはいざ知らず、液体を針が伝わっていくものだと思っていた。だからこのうんこ事件の友達がうちに遊びにきた時に彼に実験台になってもらうことにした。色水を自作の注射器に入れ準備は完了した。それを友達の腕に刺そうとしたところ、彼が

「おばさーーん!」

と悲鳴を上げてしまったのでこれは未遂となった。彼が声を上げていなければぼくはそのまま彼の腕に針を刺していただろう。その後はよく作っていた泥だんごを一緒に作り、型をつかって泥を固めて遊んだ。

もうひとり仲の良かった友達がいて彼ともよく遊んだ。幼稚園のバスのルートで彼の家がどこにあるか分かっていたから、ぼくは自転車で出かけて行った。今地図で見たら1.5キロ離れていた。そして彼にも自転車に乗ってもらい、うちまで連れてきてしまった。さらにそれでは飽き足りず、うちから1キロ離れた、つまり彼の家からは2.5キロ離れた大きな公園まで一緒に行って遊んだ。公園で遊び終わったぼくと彼がぼくの家に戻った時には彼のお母さんから電話で連絡が入っており、いなくなって相当心配しているということをぼくの母親から聞かされた。ちなみに小1になったぼくは家から4.5キロ離れたホームセンターに自転車で1人で行ってしまい、親が心配して車で探しにくるということがあった。

彼は幼稚園のバッグにちいさな方位磁石を付けていて、ぼくは何回もそれを見ているうちにどうしてもそれが欲しくなってしまって遂に盗んでしまった。そしてそれを彼に見せ、

「同じの持ってるんだよ」

と言い放った。彼はこれを読んだらぼくが誰だから分かると思う。大変申し訳ないことをしてしまいました。

幼稚園の話に戻ると、敷地内に滑り台があった。上までは階段で行くようになっている。ぼくはかなり大きな石を1個持って上に上がりきり、下を見ずに階段を落ちて行くように石を転がしたのだった。するとそれが下から上ってきた女の子のおでこに当たってしまい、けがをさせてしまった。これはかなり悪質ないたずらだったらしく、先生は絶句していて逆に怒られなかった。大変申し訳ないことをした。

女の子の友達でぼくが好きという子がいて、彼女がうちによく遊びに来た。すると父親がそれまでに見たことのない様な満面の笑みになり、ぼくはそれがおもしろくなかった。そういうことが何回も続いて、ぼくは父親は息子じゃなくて娘が欲しかったのだと思うようになった。そして自分が女の子だったらよかったのにと思うようになり、休日の朝まだ親が寝ていて、ぼくはお腹がすいて目が覚めてしまった時などに、トイレに行くと太ももの間におしっこをためてそれをすこしずつ股間から流し出して、あたかも女の子がおしっこをするかのような真似事をするようになった。更に変なおじさんにレイプされるようなことを想像して布団の中でパンツを脱いだこともあった。そして幼稚園では女の子のスカートに憧れて、スモックを脱いで腰に巻いてスカートのような感じにしていた。こういう傾向は小1になるとすべて消失したが、ぼくは幼少時にレイプでもされていたのだろうか。

ほかに断片的に思い出せることはお泊り保育の集合写真で一番いい場所を鹿のオブジェに上って確保したこと、幼稚園の畳の広場で寝そべっていたら足を触ってくる人がいて「なんだよー!」と言って振り向くと週に何回か来る体操の女の先生だったこと、悪いことをすると職員室奥の真っ暗の部屋に入れられることがあったこと、でんぷんのりに絵の具を入れたら叱られたこと、である。家での出来事と言えば、香水をつけたテッシュを女の子からもらい、それがいいにおいだから鼻をかんだあと母親に頼んでそれを干してもらっていたこと。何度も何度も干してもらった。それと家の近くの栗林で栗を広い、それを幼なじみの女の子にあげたら母親に知られて取った栗を返しにいった。

最後に弁当の思い出を。幼稚園には弁当の保温機があって、家から持ってきた弁当だったか出た給食だったかは忘れたが、それに入れて毎日保温していた。そしてたまにコーヒー牛乳が出て、一人一人に配られて先生が千枚通しでフタを開けてくれるのをじっと待つ。そしてみんなのフタが開いたら一斉に飲むのだ。これがとてもおいしかった。

ただし給食に関しては厳しいルールがある幼稚園で、残すのは厳禁&落としたものは洗って食べる、というルールがあった。ぼくは2番めのルールに対して特に反発した。コロッケを床に落としてそれを洗ってまで食べるバカがどこにいるのだろう。1番目のルールに関しては給食を残した生徒は昼休みに入れない。みんなが外で遊んでいる中、じっと机の上の給食とにらめっこを続けなければいけないのだ。ぼくはよく遊ぶ同じクラスの子が好き嫌いが多くてなかなかお昼に一緒に遊びに行けないので、彼が残したものをテッシュにくるんでゴミ箱に捨ててあげていた。しかしそれがばれて先生から大目玉を食らった。ちなみにこの彼は小5で悪ガキ3人組となったうちの1人である。

幼稚園の卒業アルバムには自分で描いた絵が表紙になった。そこにぼくは富士山が噴火して、目の前の線路を貨物列車が通る風景を描き、一番手前に自分の家を配置して最後に漢字で名前を書いた。漢字で名前を書いたのはぼくだけだった。幼稚園の時点で親が漢字を教えてくれていたし、ひらがなとアルファベッド26文字は幼稚園に入る前に叩き込まれていたのである。

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