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小3の思い出

小学校3年はぼくの人生の転機だったかもしれない。ぼくは担任の先生から「3年1組のガン」と言われた。


マジックで手や顔に描かれる


3年生になるとクラス替えがあった。1組になった。この担任はとんでもない女の先生でとてもじゃないが先生と呼べる人ではなかった。今ではありえないことだが当時はまだ何でもありだった。たとえば生徒の顔や手にマジックのマッキーの太いやつを使って文字や図形を描いたりしてしまうのだ。忘れ物をするとでっかく手に描かれる。掃除の時間には三角巾を着用することが決められており、三角巾を家から持ってくるのを忘れるとおでこにマジックで△を描かれる。メガネを忘れた生徒は顔にメガネを描かれてしまう。もちろんマジックでだ。それはちょっとやそっとでは落ちない。学校で水で顔を洗っても落ちないからそのままで家に帰ることになる。



校庭を走らされる


叩かれるとかそういう体罰はあまりなかったが、校庭を走らされるというのはあった。給食の配膳中にちょっとふざけてうるさくしようものなら、いただきますの直前に

「校庭3週!」

などと言われ、みんなが食べ始めているのに走りに行かなければならない。ぼくも何回かそれをくらってしまい、ちょっと小さく走ってずるをして、それでも言われた通りに走って教室に戻ったことがある。


落とした給食を食べさせられる


配膳係が野菜炒めの入った容器をひっくり返してしまい、床にぶちまけてしまった。これを担任はほうきで容器に戻させ、それを配膳させた。彼女は

「食べなさい。もし戦争中だったら食べる物もないんだからね」

と言っていた。ぼくは床にぶちまけて掃除用のほうきとちりとりでかき集めた給食なんて食えるかばかやろうと思って口にしなかった。


クリスマスソング再生されず


12月にクラスでクリスマス会があり、家にクリスマスソングがある人は持ってきて欲しいと前日の帰りの会でアナウンスがあった。ぼくは家に帰って父親に頼み、外国の曲とか色々入ったクリスマスソングのテープを作ってもらった。父親は音楽が好きでいろんな音楽のCDやテープやレコードが家にあったのである。それが再生されるのを楽しみに学校に行くと、ぼくのほかにもう1人テープを持ってきた人がいて(彼はメガネを顔に描かれてしまった人)、彼のテープは市販のものだったので活字が入っており、それだけ再生されてぼくが持って行ったテープは再生されなかった。それがあってかそのクリスマス会は本当につまらなかった。クラスの生徒を宝を隠す数人のグループと宝を探すグループに分けて、隠されたクリスマスプレゼントを探し出そうというお楽しみ企画があったのだが、ぼくは宝を隠すグループだったので仲のいい友達に宝のありかを教えてしまった。すると担任に廊下に呼び出され

「なんで宝のありかを言っちゃうの!」

ときつく怒られた。ぼくは手を後ろにして、壁に

「ばばあ ばああ」

とずっと指で書いていた。


自習の時間に担任が録音していた


時々自習の時間になることがあった。担任がテープレコーダーのところで何か操作してから教室を出て行って、それから自習の時間になったことがあり、みんながガヤガヤ騒いで好きなことをはじめたものだから、ぼくは黒板の前のテープレコーダーのところに行ってみた。すると録音状態になっていた。担任は自習の時間中にみんなが騒いでいたかどうか録音して証拠をとりたかったのだろう。ぼくはふざけんなと思い、停止ボタンを押して録音を止めてやった。


音楽のテープを上書きする


音楽の授業は教室で行われることもあり、お手本の歌や音楽が入ったテープが教室のラジカセに入っていた。ぼくは休み時間にそのテープを取り出してみた。爪が折られている。教材だから当たり前だ。ここにテープを貼れば録音のボタンを押して録音することができると知っていたが、テープを貼るのはまずい。そこでぼくはラジカセを良く観察した。テープの爪が当たる部分に突起の付いた小さな金属部品があった。どうやらテープに爪があればこの突起が押されて録音可能と機械的に判断するらしい。ぼくはこの突起を指で押し、録音ボタンを押し込めるのを確認してから録音ボタンを半押しにし、それから扉を閉めてテープをラジカセ内にセットした。そして録音ボタンを最後まで押し込む。成功だった。ラジカセは音楽の教材のテープに録音を始めた。ぼくは十数秒して録音をやめてそのままにしておいた。

後日音楽の時間になり、そのテープが使われた。歌が流れているかと思ったら急に

「ガヤガヤ ガヤガヤ」

という音になる。ぼくが録音した教室の音だった。クラスの全員がテープがおかしいことに気づく。そして生徒の1人が

「この前とらがいじってた!」

と言い出してしまった。しかし別の生徒が

「そのテープには録音できないはずだよ」

とフォローを入れてくれた。この時はなんとかばれずに済んだが冷や汗をかいた。


クラスメイトが脳震盪、死んだかと思った


教室の前の扉とその上の小さな窓が開いた状態で、上部で横に伸びている棒のような部分に手をかけてぶらぶら揺れて遊ぶというのが一時流行った。ぼくもやっていたのだが、その日はクラスメイトがやっているのを後ろから押してあげることにした。振り幅がだんだん大きくなる。そして次の瞬間

ドーーーン

彼は後頭部から床に落ちてしまって動かなくなった。目は開いたまま天井を見つめている。ぼくは彼が死んだのではないかと思った。そのままどこかに運ばれて行ってしまい、その日は戻ってこなかった。次の日も休みだった。後で聞いたところによると脳震盪ということだった。この一件でとらに関わると危ないことが起きるという空気になってしまった。ぼく自身も他人に対して何かちょっかいを出すと思わぬ事故になると思うようになった。


教室に女の子を閉じ込めて泣かす


教室の前後のドアには内側から鍵をかけることができた。ぼくは前のドアの鍵をかけ、後ろのドアを押さえつけてクラスメートの女の子1人を中に閉じ込めてしまった。次が体育の時間だったからみんな着替え終わって校庭に向かっていたのだが、彼女は遅かったのだった。ほどなく彼女が泣き始めてしまった。このことは成人式で謝ったがもう彼女はこのことを忘れていた。


女の子の前髪をはさみで切る


近所の女の子で同じクラスの子がいた。かわいい子でかわい子ぶってるところがあり、ぼくは自分のはさみを持ち出して唐突に彼女の前髪を切ってしまった。すぐに担任の知る所となり、

「髪は女の命! 顔は女の命!」

と言われた。この言葉はどういうわけか非常に印象に残っている。


空き家を徹底的に破壊


この女の子とは家に遊びに行ったりしている仲で、その日も一緒に遊ぼうと誘われた。何をするかと思って指定された場所に行ってみると、それは彼女の家のすぐそばのぼろい民家で、既に同じ3年生が数人集まっていた。家に人の住んでいる気配はない。聞くとこの民家は鍵が開いていて入れるというのだ。そしてみんな土足で上がり込み、破壊行為を始めた。障子に手を突っ込む、石を投げてガラスを割る、台をひっくり返す、ふすまを蹴飛ばして穴を開ける。それはもうやりたい放題だった。そうやって数人の小学生が徹底的に空き家の内装を破壊してしまったのである。


映写機を作ろうとするもできず


またこの女の子がらみだが、彼女が怖い話の本を貸してくれた。多分学研の科学と学習のおまけだったと思う。この中にしゃれこうべの話があって、それが怖かった。家が建っている場所は以前墓地か何かだった場所で、年月が経ってボットン便所からしゃれこうべが出てきたという話だった。トイレ下に埋められた遺体が朽ち果てて白骨化し、竹が伸びてきて頭蓋骨が竹の先端に押されてボットン便所の便器を突き破って出てくるというシナリオである。

ぼくはこの話が怖いのだけれども気に入ってしまい、おもちゃでもいいから映写機のようなもので夜暗い部屋で上映してみたいと思うようになり、豆電球や黒い紙を組み合わせてあれこれやってみるのだが、結局作り上げることはできないうちに本を返すことになった。その後しばらくしてこの女の子は引っ越しをしてどこかに行ってしまった。その子は祖末な住宅の2階に住んでいて、玄関のドアが風呂場のドアのようなガラスドアだったのが印象的であった。


カニ歩きの同級生 縛り上げ


同じクラスの女の子で、おどおどしていてカニのように横を向いて変な風に歩く女の子がいた。ぼくはそれがどうも気になってしまい、昼休みに体育館に呼び出してぼくの幼なじみの女の子と一緒になってなわとびでそのカニ歩きの子をぐるぐる巻きにして身動きが取れないようにして置き去りにしてしまった。それでカニ歩きを見なくても済むと思ったのである。誰に助けられた知らないが、どういうわけかその後その子は普通に教室に戻ってきていた。


長縄をクラスメートの足に巻きつけて捻挫させる


同じクラスの男の子で、おどおどしていて話し方もちょっと変な子がいた。ぼくは昼休みにクラスの長縄を使って彼の足首を縛り上げ、遠くからその縄を引っ張った。すると彼は身動きが取れずに転んでしまい、ねんざをしてしまった。大変申し訳ないことをした。


三角コーナーのジュース盗む


3−1の教室のすぐ隣に三角の部屋があって、中に入るとジュースやお菓子がたくさんストックされていた。これは希望者だけが入る小学校の部活の備品だったらしいが、ぼくはそんなことはおかまいもせず、帰りの会の後さりげなくその部屋に入り込み、お菓子やジュースを拝借してそれを飲み食いしながら家に帰った。友達にも教えてあげてみんなでそれをパクった。


隣の家の子の学級委員のバッチを捨てる


下校時のことである。隣の家の子で学年が2、3上の女の子が学級委員になってバッジを自慢していたので、なんだいそんなものと思ってぼくはバッジをむしり取り、畑に投げ捨ててしまった。それが高学年の担任にばれ、学校で首根っこをつかまれて

「なんてひでーことするんだ」

と縛り上げられてしまった。この時は怖かった。


同級生のランドセルにナス入れる


学校帰りには所々に畑があり、色々な作物がなっていた。ナスがちょうど食べごろの時、ぼくはそれを取りたくてしかたがなくなり2、3本むしり取ってきた。それをポストに入れたりしてみたのだが面白くないので、当時ちょっと流行っていた「歩いている時に気づかれないようにランドセルを開けてしまう遊び」を発展させ、「歩いている時に気づかれないようにランドセルを開けてナスを入れ、気づかれないように閉める遊び」を思いついて実行した。結果は成功だった。

やられた方が家に帰ってびっくり仰天することになる。宿題でもしようと思ってランドセルを開けたらナスが出てくるのだから。後で聞いた所によるとこんなことをするのはとらしかいないということで証拠もないのにばれた。そしてランドセルから出てきたナスは親が夕飯のおかずにしてくれたとのことだった。

ちなみにこの子とはたまにけんかすることがあり、下校時に石を投げ合うけんかをしていた時、ぼくはこれなら絶対勝てると思って先回りして彼の家の門の影に大量の小石を持って隠れて待つことにした。彼が帰ってきた瞬間に石を投げつけて、不意に取られて一瞬ひるんでから激怒し出した彼が反撃もできないうちに、全速力で走って逃げたのだった。


友達の家でテレカ盗む


下校時に気になっていたのは公衆電話だった。名札の裏に10円玉は入っていて、緊急時に家に電話をかけることはできたが、テレホンカードは経験がないし興味津々だった。とある日仲のいい友達の家に遊びに行くと彼は宝物入れなる箱を持ってきてぼくに中身を見せてくれた。その中にぼくの欲しかったテレホンカードがあったのだ。500円のものだった。ぼくはどうしてもそれが欲しくて隙をみて盗んでしまった。彼が

「テレホンカードがなくなった!」

と騒ぎ出したが、一緒に探すふりだけして持って帰ってきてしまった。それから数日間はいつそれを公衆電話に入れてみようかそわそわしていたが、ついに初めて使ってみることにしてドキドキしながらそれを入れてみた。すると0と表示された。残高が残っていなかったのである。


スーパーボールを追って道路を弟と飛び出し、校長室行きに


下校時に拾ったスーパーボールをポンポン跳ねさせて遊びながら家に帰っていた。この時は弟も一緒だった。ちょっと狙いが狂ってスーパーボールが車道を越えて向こう側に飛んで行ってしまった。ぼくと弟はそれを追いかけた。これを同級生が見ていて学校に告げ口をしたのである。当時のルールで通学路というものが決められていて、小学生は決められたルートで家に帰らなければならなかった。さらに同じ道でも左右どちらの歩道を使うかも家がある位置によって明確に決められていたのだ。窮屈この上ない。ぼくと弟が指定された横断歩道でもない車道のところを渡ったものだから見ていた生徒が告げ口したのだ。

次の日ぼくは弟と一緒に担任に呼び出され

「今から校長室に行って謝ってきなさい」

と言われた。訳の分からないことを言うもんだなと思ったが、言われたので校長室に行ってノックしてみた。入れというので弟と入り、何しに来たのかというのでこれこれこういう理由で来たと説明した。すると校長は

「3年1組 とらだね」

と言って全校生徒の名簿を取り出してきてぼくの名前のところに赤ペンで丸を付けていた。


3組の同級生の目標を書き換える「全部のテストで100点を取る」→0点


2年の時に掃除の班長にすると言ってコントロールした同級生は3−3になっていた。目標を1人ずつ書いて張り出した紙が廊下に張り出されていて、ぼくは彼のを見つけた。そこには「全部のテストで100点を取る」と書かれていた。ぼくはそれを書き換え、「全部のテストで0点を取る」としてしまった。そんなことをするのはぼくしかいないということでばれ、彼が怒り出してぼくの目標の紙に仕返しでいたずらをしてきた。自分では何を書いていたかは覚えていない。


お葬式


小1で仲の良かった友達が死んだ。白血病だった。小1で同じクラスでよく遊んでいたが、ある日鼻血が止まらなくなってそのまま早退したきりもう彼が学校に戻ってくることはなかった。それから2年後、彼は亡くなったのである。亡くなるしばらく前にぼくは彼の家にお見舞いをかねて遊びに行ったことがあった。色白で病弱そうな彼は部屋でパジャマのような服を来て積み木で遊んでいた。

彼が亡くなったという知らせを受け、仲の良かった生徒がお葬式に行くことになり、ぼくとほかに3人が学年を代表して彼の自宅であったお葬式に参列した。ぼくは彼が死んだということがあまりよく理解できず、何か楽しいイベントか何かと勘違いしてお焼香をして帰ってきた。これがぼくが生まれて初めて出た葬式だった。


掃除をしない奴をほうきで叩く


ぼくはいたずらっ子だったが責任感のある子だった。掃除ではほうき係で、ぼくが履いてきれいになったところを雑巾係がふくという流れだった。しかしぼくがきれいにしてもいっこうに雑巾をかけない生徒がいる。ぼくはほうきのはく方でさぼっている人をたしなめるかのように叩くようになった。これが後でとんでもないことに発展することになる。


帰りの会でばばあと言ったことをちくられ、裁判のようなものに発展


帰りの会は毎日行われ、終わり頃に意見がある人は手を挙げるというコーナーがあった。その日は運が悪かった。意見のコーナーでとある生徒が

「今日とら君が先生のことをババアって言ってました」

と言い出したのである。すると別の生徒が

「私もとら君がババアって言ってるの聞きました」

そのあとはぼくも私もの嵐である。そして

「掃除の時とらにほうきで叩かれました」

そのあとはまたぼくも私もである。そして担任は帰りの会を延長し、ぼくを黒板の前に立たせて裁判のようなことをやり始めたのである。

「とらに何か言われたりやられた人は申し出なさい」

担任+全クラスメート VS とら という状況だった。とても苦しかった。だがぼくは涙を見せるようなことも反発するようなこともなくじっと耐えた。そして最後の最後の締めくくりとして

「とらは3年1組のガンだ」

と言って幕を閉じたのであった。ぼくはどうしても納得がいかなくて、解散した後に担任のところに駆け寄って

「ほうきで叩いたのは持つ棒の所で叩いたんじゃなくてはく方です。ぞうきんがけをしないからやれよってことで軽く叩いたんです」

と涙ながらに訴えたのだった。このことは親に伝わったが何にも言われなかった。


目が悪くなる


この頃までに目が悪くなってきてしまっていた。同級生でメガネをかけ出した人に対して「めがねざる」などと呼んでいたのに自分もそうなってしまうのだろうか? 親はぼくを視力回復センターというところに連れて行き、10万もする超音波治療器を買った。これを朝学校に行く前に両目に当ててやることになった。ちょっとは視力が回復した。土曜日に近くの視力回復センターに行って視力を測定してもらう。そこれで視力が回復していると近くのスーパーでタミヤの工作キットをごほうびに買ってもらえたので嬉しかった。


自殺を考える


とある日の下校時、学校の近くの家の犬の縄をほどいて逃がしてしまった。待てども待てども犬は帰ってこない。そのうちぼくが帰らなければならなくなったので自分の家に帰った。このまま犬が戻らなかったらどうしよう。不安で不安でしかたなくなり夜も眠れなかった。そしてとあることを思いついた。もうこれは自殺するしかないと。ただし自殺がどういうものかはよくわかっておらず、その方法も知らなかったのでいつしか寝てしまった。次の日の朝学校に行く途中にその家の犬小屋をチェックしてみたところ、犬は無事に戻ってきていた。ぼくはほっと胸を撫で下ろした。

しかし上記のようにクラスでは孤立し、以前書いたがスイミングスクールでは孤立して泣きながら泳いでいたし、親も何かあると父親の暴力が怖かったし家を閉め出されることもあり、気が気でなかった。

さらに母親と弟が見ていない所で湯のみが倒れてお茶がこぼれたのをぼくのせいにされ、何をどう言っても聞いてくれないから遺書まで書いたのだった。しかしやはり小学生である。自殺だの遺書だのは思いついてあれこれ考えても、目の前に面白いことがあればそれに飛びついて気づいたら忘れているものなのだ。

しかし心の奥には鍵のかかった開かない箱があって、その中にどうしようもない想いを無理矢理押し込んでいたんだと思う。

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