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小4の思い出

小4になるとクラス替えがあり、ぼくは4-4になった。またしても女の先生だった。この女の先生は学校であったことをいちいち家庭に通知せず、学校内で処理するようにしている先生だった。そのことを母親が偉いと言っていた。


火遊びを覚える


小4で仲良くなった友達には油断ならなかった。というのは体育の前に着替えていると

「お前の急所は、ここだーッ!」

と言って手で急所攻撃をしかけてくるからである。そんな彼とは彼の家が学校から近かったのもあり、放課後にそのまま寄って一緒に遊ぶことが多くなった。彼は爆竹や煙玉をこづかいで買って持っていて、それらをちょっと分けてもらって一緒に遊んだ。火遊びがこんなに楽しいものだとは思わなかった。

ぼくはそれまで火遊びは経験がなかったが、爆竹は導火線に火をつけると数秒で爆発するということに始まり、導火線を伸ばせば時間を稼げることなど彼が色々教えてくれた。

「アリの巣に爆竹を入れて爆発させるとほかの穴からも煙が出てくるんだ」


と彼は嬉しそうに言っていた。ぼくは水遊びが好きだったので、ダムのようなものを一緒に作って最後に爆竹を爆発させてダムを決壊させるという遊びが特に記憶に残っている。

そのうちぼくも自分で爆竹などを買うようになり、家の556のスプレーも持ち出して外で火遊びをするようになった。ライターの火に556のスプレーを吹きかけるととてつもない炎が出て楽しかった。竹やぶの思い出にも書いたが、竹やぶの中で灯油を燃やして缶を破裂させてしまい顔に軽い火傷を負ったのも、彼と遊ぶようになって火遊びを覚えたからだった。



放火魔と言われる



火遊びを教えてくれた友達の家の前には空き地があり、すすきが生えていた。さらにその奥は林になっていた。ぼくとその友達は彼の家の敷地内で火遊びをすることが多かったのだが、その日は前の空き地で遊んでいた。そしてぼくは何を思ったかライターですすきに火をつけた。

すると勢いよく燃え広がり、とても子供の手には負えなくなった。ぼくは怖くなって彼の家まで逃げてきてしまった。その直後に隣の家の学年がひとつ下の女の子のお父さんがたまたま家にいて、駆けつけてホースを伸ばして消火してくれた。それで事なきを得たのである。もしあの時大人が消火してくれなかったらどうなっていただろうか。

次の日の朝学校に行くと、何人もの生徒から

「放火魔!」

と言われた。ぼくは何のことだろうと思ったが昨日のあれかとすぐに分かった。そしてその後しばらくぼくは同級生たちから放火魔と言われることになってしまったのである。


泥棒と言われる


火遊びを教えてくれた友達の家には本当によく遊びに行っていて、家のどこに何があるのかが自分の家のように分かるぐらいだった。とある日に近所の低学年の子供とも一緒に彼の家の中で遊んでいて、夕方近くなって彼の家族が外食に行くとかで出かけることになり、ぼくたちも家から出て帰らざるを得なくなった。

彼の一家が車ででかけてしまったあと残されたぼくはどうしようかと迷い、彼の家にどうにか入れないかと考え始めた。低学年の子供もどこか入れるところはないかと家の回りを物色し始めた。ぼくは縁側の扉の上にある窓に目をつけた。あそこの鍵をどうにか開けられないだろうか。

思ったらすぐ実行である。自転車を台にして手が届くようにし、窓を上下にガクガク揺らし始めた。すると鍵がどんどん緩んでいって最後には開いてしまった。そして窓を開け、ぼくは器用にそこから家の中に入ってしまった。そして下の扉を開け、ほかの小学生達も中に入れてリビングでさっきまでやっていたテレビゲームの続きを始めた。

しばらく経って飽きてきたのでそろそろ帰ろうということになり、友達の財布があったのでそこから数百円を拝借し、小さな子供は玄関から出てもらってぼくが内側から鍵をかけ、ぼく自身はリビングの大きな窓から出てそのまま窓を閉めただけで自分の家に帰ってきてしまった。

そして次の日の朝。何食わぬ顔で学校に行くと、友達が近づいてくるなり

「お前昨日うちに侵入したべ?」

と言ってきた。完全にばれていた。その日も放課後いつも通り彼の家に遊びに行くと、彼のお母さんが

「いくら友達だからって勝手に家に入っちゃだめだからねー」

と言ってチョコレートパンをくれた。ぼくの母親だったら警察に突き出していただろうに。そんなこんなでとりあえず事なきを得たが、それ以降学校では泥棒と言われるようになってしまった。


サイコの殺人シーンを家に来た友達に見せる


もう1人仲良くなった男の子の友達がいた。学校ではよく遊んでいて、ついにうちに遊びに来ることになった。ぼくは彼をどうもてなそうかと考え、というよりかはうちにあるもので彼に見せてぼくが一番気分がよくなれるものは何だろうと思い、それは映画サイコのシャワールームでの殺人シーンだった。

家には父親の趣味で映画のビデオがたくさんあり、洋画に邦画、ジャンルもホラーにアクション、ドラマに至るまで色々あったのである。ぼくはビデオのラックの高いところにあったサイコのビデオテープを取り出し、リビングのテレビに映し出して再生しながら早送りをした。でも早送りをしてもしてもなかなか殺人シーンにたどり着かない。テープを入れたあと再生しないで早送りし、ある程度のところまできてから再生すればよかったものを、そうしなかったからかなり時間が経過してしまった。

友達も「何を見せないの?」というような状態で早送りをしているぼくの後ろで待っており、時間を無駄に過ごしてるような雰囲気を出していた。そしてようやくシャワールームでシャワーカーテンがバッと開けられ、ナイフが振り下ろされて女が「あう、おう」と言いながら、女の足下を流れる水の色が変わっていくあのシーンになったのである。

ぼくは彼が喜んでくれるだろうと思っていたがそんな感じは全くなく、それが終わってからちょっとして

「もう帰るね」

となって帰ってしまった。興奮していたのはぼくだけだったようだ。ちなみにぼくがそんなことをしているのに親は何も言ってこなかった。


替え歌で女の子を泣かせる


同じ班の女の子でおでこが広い子がいて、そのことを本人も自虐的なネタにしてみんなの笑いをとることもあったのだが、ぼくは「ま、まぶしい」とか「見た人が光で死んだ」とか言うものだから、ちょっと悲しそうな顔をすることがよくあった。そしてぼくは彼女にでこりんというあだ名を付けて色々な替え歌を作っては歌ってあげていた。するととある日にとうとう泣き出してしまい、先生に怒られることになった。


女の子に1万円を家から持って来させてゲーセンで5人で遊ぶ


替え歌で泣かせてしまった女の子とは結構仲が良くて学校でもよく遊んでいた。そしてぼくがゲーセンの話をよくするものだから、彼女もそれに乗ってきて、親の財布からお金を抜いているから遊ぶ金があるよというようなことを彼女が言い始めた。ぼくは

「それだ!」

と思い、それまでの最高額は5千円だったとのことだが、どうにかして1万円を財布から抜いてもらい、それを使ってみんなで遊ぼうよとけしかけたのである。彼女もおだてられてすっかりその気になってしまい、やる気満々だった。

そして迎えた土曜日の昼前。5人で集まることになっていた場所に彼女はやってきた。とても嬉しそうな顔をしていたのでぼくは計画がすべてうまくいったことが分かった。彼女は母親の財布から1万円札を抜いてきたのである。

まずはマックに行ってお昼ごはんということで5人でそれぞれ好きなものを食べた。ぼくは楽しくてポテトを1本ずつ後ろにポンポン放り投げて、それを見たみんなは笑っていた。お昼を食べ終えてからは近くのボーリング場に行ったのだが、小4でみんなボーリングをしたことがなくて、隣接していたゲーセンで遊ぶことにした。100円を入れて動かすクレーンだとか、メダルでやるじゃんけんだとか、そういうたわいもないゲーム機で遊んだ。そしてあっという間に時間は過ぎた。最後にぼくが小2まで通っていた近くのスイミングスクールに行き、そこを5人でちょっと覗いてみた。そしていよいよ夕方になり解散の時が来たのである。

そのまま解散かと思いきや、1万円を持ってきた女の子が

「のこり全部あげる」

と言うのである。お金は5千数百円残っていた。5人のうち3人は女の子で2人はお金はいらないという。あとはぼくとサイコの殺人シーンを見せられた友達。ぼくはお金を彼と分け、いただくことにしたのであった。

今日はみんなで好きなように楽しく遊んでいい日だったなーと家に帰ってしばらく余韻に浸っていたのも束の間、男友達の母親からうちに電話があった。ぼくの母親が「はい、はい」と言いながら聞いている。そして電話を切るなり

「あんた、今日何したの! ○○ちゃんからお金取ったんだって?」

全くの誤解である。彼女が自分の親の財布からお金を抜いていると言うものだから、ぼくはそれじゃ抜いたお金でみんなで遊ぼうと言っただけなのに。なにはともあれうちに電話をかけてきた男の子の親が5000円、うちからは5000円返すということになり、すぐ母親が女の子の家にお金を持って謝りに行った。

女の子の母親はお金を抜かれていたことに気づいていなかったらしく、「うちの子がねぇ、、、w 」という感じだったらしい。その後特にぼくとその女の子が悪い関係になることはなかった。しかし男の子の友達とはそれから絶縁状態のようになってしまった。ぼくの方は何とも思っていなかったが、向こうが

「とらと関わるとろくなことがない」

と思ってみんなにも言いふらしていたようだった。


音楽室のレコード針全部壊す


レコードを使ってやる授業はほとんどなかったのだが、当時音楽室にはレコードの針が大切そうに保管してあった。ぼくは音楽室の掃除の担当だったのでその針をよく見かけていて、どうも気になってしかたがなくなり放課後に誰もいない時に針を取り出し、折って全部壊してしまった。それからしばらく経って担任の先生が

「音楽室のレコードの針がいたずらされました」

とアナウンスしていた。こういう具合にぼくがやった悪事が全校生徒に事件がアナウンスされるということが小4以降本当に多くなっていった。


クラブ活動が始まりバトミントン部に入る


小4になると週1でクラブ活動が始まった。ぼくはバトミントン部に入った。ところがほとんどが女子で男子はぼくと養護学級の男の子だけだった。恥ずかしいのでぼくは彼を誘い、毎回2人で跳び箱の中に隠れていた。跳び箱はぼくたちが入って上の部分をすっかり元あったように閉めてしまうものだから、中に2人がいるとは誰も思わない。クラブ活動の時間になると決まって2人がいなくなり、終わり頃まで出てこないものだからみんな不思議がっていた。こんな具合だからぼくはバトミントンをしたのが年に数回しかなかった。あの羽がゆっくり飛ぶというがどうも受け入れられなかったというのもあった。


友達がランドセルにからしを垂らされる、母親がバカと遊ぶなと言う


たまに遊ぶ友達にとても悪質なことをする子がいた。ぼくは自分のことをいたずらっ子だとの認識はあったが、彼がやることに比べればかわいいもんだと思っていた。その日はぼくと彼、あと2人の男の子で遊ぶことになり、みんなの家からちょうど真ん中ぐらいの距離の公園に学校帰りに一度集まった。そこでその悪質なことをする子がほかの子供にランドセルをここに置いて行けと命令した。ぼくは母親がうるさいのでランドセルは持ち帰った。ただし1人の男の子は気が弱くてランドセルをそこに置いて行かざるを得なかった。

ぼくが家に帰ってすぐ遊びに行こうとすると、母親が

「誰と遊ぶの?」

としつこく聞いてくる。ぼくが

「○○君だよ」

と正直に言うと、母親は

「バカと遊んじゃだめ! バカになるよ!」

と言う。そして当時ぼくがやらされていたポピーという教材を数ページやり終わるまで外に出ては行けないと言ってきた。すぐに遊びに出られる時もあったのだが、ぼくが遊びに行きたそうにそわそわしているとそれが分かるようで、そんな時に限ってポピーをやれと言うのである。仕方がないので急いでそれをやり終えてからぼくは自転車で公園に向かったのだった。

公園に着くとみんなの様子がおかしかった。ランドセルを置いて行った子のランドセルの背中に当たる部分が黄色くなっており、持ち主がいたたまれない表情でたたずんでいるのである。悪質なことを子はにやにやしている。よくよくランドセルを見てみると黄色の物体の正体は「からし」であった。悪質なことをする子がその日の給食で出た納豆に付いていたからしを、からしが苦手な子から集めて持ってきていたのだった。ぼくはそこまで頭が回らず関心した。その後もう1人の男の子の家に行き、みんなでお茶を飲みお菓子を食べながらさっきあった事をその子の母親に話し

「からし乗せちゃだめだよー」

などと言われたのだった。


給食は離れ小島で1人で食べさせられる


ぼくが同じ班の女の子にすぐちょっかいを出すものだから担任は頭を抱えていた。その日も隣の席の女の子に

「キテレツ大百科って来週で最終回だって」

と嘘を付き、泣かせてしまった。彼女はコロ助が大好きの少女で、コロ助をテレビで見れなくなることに耐えられなかったのである。そんなことがしょっちゅう起きるものだから、担任のなるべく女の子にコンタクトさせないという配慮からだろうか、給食の時間ぼくは配膳台の近くに自分の机を移動させられ、クラスのみんなの方を向いて1人で食べるということを強制されるようになった。そうやってクラスで孤立するのはもう小3で慣れていて、何とも思わなかった。


私はバカですの札を持って昼休みいさせられる


何がきっかけだったかは忘れたが遂に担任の堪忍袋の緒が切れた。彼女は「私はバカです」と大きな字で書かれた板にひもをつけたのを用意し、ぼくにそれを首からぶら下げていろと言った。ぼくは言われた通りにするしかなく、しばらくそれをひっさげていたのだがとても惨めな気分になりとうとう泣き出してしまった。ここまですることはないだろう。タキザワハムというとビンタされた。


小遣い帳を強要される


小遣いは月に数百円もらえるようになった。これは同級生の家がそうしていて、ぼくが親にお願いしたからである。このお金で爆竹などを買う事ができた。しかし母親は何にいくら使ったのか事細かく小遣い帳に書くように言ってきた。そして財布の中の現金と小遣い帳の残高が合っていないと家の中を隅から隅まで探させて、まさに銀行さながらだった。

ぼくは線路の向こうの個人経営のおしゃれな文房具屋で、キラキラ光るものが入ったのりとかいいにおいがするビースみたいなものを見るのが好きだった。でもそれらはたまにしか買えない。その店では万引きはしなかったが、以前書いたようにお菓子を万引きするようになった。


おねしょで罰金


おねしょはまだしていて、おねしょをすると母親に罰金を取られた。1回100円である。それももちろん小遣い帳に書かなければばならないのだが、おねしょと書くと恥ずかしいので

「5/23 パンツ 100円」

と書いていた。友達がうちに遊びに来た時に小遣い帳を得意になって見せたのだがしまったと思った。友達は案の定

「このパンツって何?」

と聞いてきたのだった。


相撲大会で準優勝


地域の子供相撲大会があるというのを同級生の母親で教育ママの人から知ってしまい、ぼくも出ることになった。それまで相撲なんてやったことはなかったのだがどんどん勝ち進み、決勝戦まで来てしまった。そこでガタイのいい学年がひとつ下の男の子が対戦相手で、ちょっとやばいかなと思って気を緩めた瞬間に負けてしまった。

ぼくは普通の体格の子供で太ったりはしていなかったのだが、相撲をやり始めなくてよかったと思っている。


子供会のキャンプで非常ボタンを押す


子供会で近くのキャンプ施設に泊まりに行くことになった。テントは張らず、コテージに宿泊だ。ぼくはコテージに付くなり玄関の非常ボタンのテストボタンを押した。しばらくすると警備員が来てしまい

「何かありましたか?」

と子供会の役員のおばさんに聞くものだから、彼女は困惑していた。朝になって風呂場のドアが内側から鍵がかかった状態で閉められてロックアウトしていた。ぼくは

「こういうのどうやって直すか知ってるよ」

と言い、10円玉を使って外から鍵を開けてあげた。褒められるものとばかり思っていたら

「そういうの知ってるってことはとらがやったんでしょ」

と逆に疑われてしまい、大変嫌な気分になった。それから何年かしてそのおばさんは病気で死んだ。


ペンションの切れたランプをほかの部屋のと交換


清里のとあるペンションに家族旅行に行った時のこと。ぼくはベッドではしゃいでいて跳ねまわっていた。その勢いではないのだが、ベッドランプの電球が切れてしまった。電球をよく見るとフィラメントが外れていた。電球を外して適当に振るとフィラメントが元の位置に戻って電気がついた。でもすぐにまたつかなくなり、ぼくは困ってしまった。

これをどうにかしないと大変なことになると思い、廊下に出た。隣の部屋のドアが開いていた。中には誰もいない。別のお客さんの部屋だがドアを開けっ放しにしていたのだろう。ぼくは切れた電球を持ってその部屋に入り込み、さっとその部屋の電球と交換してしまった。部屋を出ると知らない大人の後頭部が見え、階段を上ってくるのが分かった。ぼくは部屋に飛び込んでドアを閉めて息をひそめていた。そしてしばらくすると

「俺は無罪だよ~」

という声が聞こえてきた。電球が切れたのに気づいたのだろうか。まさか交換されていたとは思うまい。ぼくは気が気でなかったが何食わぬ顔を決め込んだ。


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