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塾の思い出(中学)

中学になると生徒が一気に増え、一番上の特進クラスも生徒数が3倍ぐらいになった。違う小学校を卒業し違う中学校に入った生徒が何人も入ってきて、その中の1人がみんなに対して

「おれの敵はとらだけだ!」

と言っていた。ぼくは塾で成績がよかったのでとらを抜きたいと思っていたらしい。ぼくはふーんと思うだけで特に何にも感じなかった。塾の授業では特に分からないこともなく5教科を中学校より先取りして勉強した。生徒が全員帰ったあと、ぼくは残って校長だったB先生に1対1で指導してもらうことが多くなり、11時過ぎになって先生がおにぎりを買ってきてくれることもあった。そんなB先生の口癖は

「自分は頭いいって思い込むんだぞー。そうすると本当によくなるんだぞー。」

だった。ぼくはその通りにした。そして1学期の中間期末では学年2位、2学期の中間は学年3位だったが、2学期の期末でついに5教科で学年1位になり、学年末試験でも学年1位だった。9教科では1学期の期末で学年1位になっていたのだが、やはり5教科で学年1位は嬉しかった。

中間・期末試験の答案が帰ってくると問題と一緒にB先生に差し出した。B先生はそれのコピーを取って1教科につき500円分の図書券をぼくにくれた。数多い塾の生徒の中で3年間、ぼくは中間期末試験の問題と答案を塾に提供し続けたのである。これが何に使われたのかと言えば塾の教材である中間期末予想問題集への追加である。学校の中間期末が近づくと塾から生徒にこの予想問題集が配られる。学校に持って行くことは厳禁と言われたその恐ろしく分厚い問題集の中身は、自分の通っている中学校のみならず近隣の中学校の過去の中間期末試験問題とその解答だった。ぼくは学校や塾の授業とノートに加え、この問題集を活用して中学校で学年1位を取ったのだった。

しかしである。中2になるとニキビができ出したりひげが生えてきたりといった体の変化が起き始め、さらに部活が一緒の同級生を好きになって勉強どころではなくなった。幸運なことにこの子も同じ塾に通い始めた。ただ彼女は勉強があまり得意ではなかったので大人数クラスの生徒となってしまい、ぼくとは曜日がすべてかぶっているわけではなかった。かぶっている曜日でもクラスが違ったため、同じ教室で授業を受けることは叶わなかった。彼女が塾に行く日にぼくは彼女に手紙を持って行ったこともあった。彼女は迷惑そうな顔をしていた。

ぼくは彼女が気になってしまって勉強に身が入らなくなっていた。当時はiPhoneなんてなかったけれども、家から父親のビデオカメラを持ち出して塾の休み時間に友達とおふざけ動画を撮ったりして、でも本当の目的は彼女を撮影することだった。この映像は今でも実家に残っている。

学年1位を中1で取ったから勉強はもういいやという思いもあったのかもしれない。塾でもまたいたずら癖が出てきてしまった。まずはエアコン。塾は広い民家の敷地内に2階建ての校舎が建っていた。敷地には民家の水まき用のホースがあった。ぼくはそれを使うことにした。まずはエアコンの室外機のホースに土を適当に詰める。そして蛇口をひねって水まき用のホースから水を出し、それを手で室外機のホースにつなげてしばらく待つ。10秒ぐらい経った頃だろうか。

「うわー、エアコンから水が出てきたーー!」

という悲鳴が教室内から聞こえてきた。成功だった。

次に地図帳である。塾の職員室には何冊か地図帳があったので、同級生と相談してそのうちの1冊を処分してしまおうということになった。先生が見ていない隙に1冊を本棚から拝借し、塾の建物の側面で裏の別の民家との塀の手前のところでそれに火をつけた。地図帳とは言っても本だから燃えきってしまうまでかなり時間がかかる。しばらくして

「あんたたち何してるの! ○○○塾さーん!!」

民家からおばさんが出てきてぼくたちが何か燃やしているいることに気づいてしまった。ぼくたちは逃げた。そのあとB先生が形相を変えて教室にやってきて、

「とら! 何やってるんだ!」

とすごい剣幕だった。

「建物が燃えたら何千万もかかるんだぞー」

ぼくはしゅんとなってしまい、家に帰った後に事の始終を母親に打ち明けた。あとで連絡が来でもしたら怒られると思ったから自分から言ったのである。母親はお詫びの電話を塾に入れていた。母親は父親にこの一件の話をした。すると父親は

「そんなに物を燃やしたいなら堂々をやれ!」

ということでぼくをホームセンターに連れて行き、焼却炉を買ってくれた。家の庭に置かれた焼却炉を前にしてぼくの父親は

「これどうやって燃やすんだろう」

とゴミや新聞を入れて火を付け、下の空気窓を開けたりして自分が楽しそうだった。ぼくも父親の後に紙くずを燃やしてみたがちっとも楽しくなかった。物を燃やす専用の器具や場所で物を燃やしても面白くもかゆくもない。物を燃やしてはいけない所で燃やすから楽しいのだ。

話を塾に戻すが、講師の1人にパートのおばさんがいて、同級生が「30代で未婚の母」と言って馬鹿にしていたのでぼくも見かけるたびにそう呼ぶようになってしまった。子供は残酷である。別の講師でかなり太っていた人がいて、ぼくが

「別のクラスの人が先生のことゴリラって言ってましたよ」

と授業中に告げ口すると、5秒ぐらいしてから黒板の下の壁に向かって回し蹴りをしていた。このことは強烈に覚えていてその後何度も同級生と話題にして笑いあった。

この同級生は未婚の母と言っていた人と同じで、小学生の時の特進クラスから一緒だった。彼は私立中学に進学して中学校からピアスをし、髪もうっすら脱色していた。そしてタバコに酒もやるから、塾のあとぼくは彼に付き合ってそういう遊びをするようになった。タバコは彼が持っていたからそれをもらい、酒だけコンビニで買った。中学校では部活の後にコンビニで瓶のカクテルを買っている人がいたが、ぼくたちはほとんどビールだった。こんなにがくてまずいものをなんで飲むんだろうと思ったがつきあいだから仕方がない。500mlの缶を買って2人で飲むことが多かった。

たばこはマイルドセブン。何mgだか忘れたが、ぼくはどうしても煙を肺に入れられず、というよりかは入れたくなくて、ふかしているだけだった。

「とらそれふかしてるだけだろー」

そう言われてしまったことがあり、ふかしていないように吸っているように見せることに苦労した。この遊びは塾が終わると相当な頻度でやっていた。小学校までは母親が塾まで車で送り迎えしてくれていたが中学になると雨の日以外は自転車で通っていたから、夜の公園に寄ってそこで酒とたばこをやるのであった。家には夜中頃帰った。酒とタバコの臭いがする中学生が帰ってくるわけだが不思議な事に親には1回もばれなかった。どうして酒やタバコをやるかと言えば付き合いもあるのだが、やってはいけないことをやるのが面白いからやっていた。やってもいいことをやるのでは面白くないのだ。

そんなこんなで中3になるとさらに成績は下がったが、さほど気にしなくなっていた。下がったと言っても学年で10位以内である。中2の恋には破れ、こりずに塾に家からエチルアルコールを持ち込んで外のコンクリートに垂らして炎の線を作ってみたりした。これは幸いばれなかった。

コピー機をふたを開けたままコピーしたら真っ黒の紙が出てきたので、それをまた用紙入れにセットして開けたままコピーするというのを10回ぐらい繰り返したら真っ黒でカピカピの紙になってしまい、それがB先生にばれて

「とら! 何やってるんだ!!」

と言って怒られた。

塾の試験で成績上位者には教科ごとに図書券が配られることになっていて、ぼくも結構もらっていた。小学校が一緒で中学から塾で同じクラスになった同級生も度々図書券をゲットしていて、彼は問題を解き終わるとそれが試験中でなくても大きな音を立ててぴしゃりとシャーペンを机に置くのだった。そんなだから同じクラスや下のクラスの生徒にちょっと小馬鹿にされていて、彼もそのことを腹に立てていた。そしてとある日彼はとうとう堪忍袋の緒が切れたのか

「お前らの月謝が俺の図書券になるんだよ!」

と叫んでいた。ぼくは正に的を突いた発言だと思って吹き出してしまったが、ぼくはそういう露骨なことはしなかった。ちなみに彼は小1だった時にぼくを田んぼに突き落とした別の同級生にぼくの命令でキスをするということが小2の時に起きており、キスされた方も塾で同じクラスにいて、度々「○○にファーストキス奪われた」と言っていた。

夏休みには別料金の夏期講習のほかにさらに地獄の特訓のようなものがあり、それは朝9時から夕方6時までの9時間授業だった。ちょこちょこ休みはあったものの、1日1教科x5日間だった。冬休みには冬期講習があり、大晦日も授業があった。11時半頃みんなで近くの神社まで言って初詣をした。高校受験直前には「受験に勝つ!」ということで近くのそば屋からカツ丼が届き、塾の生徒全員に振る舞われた。このそば屋は部活の先輩の家だったのだがそんなにうまくなかった。

そんなこんなで小5から通い始めた塾に中学校の3年間も通い、勉強もしたしいたずらもしたし、恋もしていろんなイベントもあり楽しかった。

ただしぼくは受験する高校をトップ校から1ランク下げてしまった。試験の自己採点は498点でトップ校は問題なく入れていたのに。なお、当初書いた

「おれの敵はとらだけだ!」

と言っていた彼や図書券の同級生はトップ校に合格した。

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