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塾の思い出(小学)

以前同級生のお母さんが教育ママでうちの母親が影響を受けてしまい、ぼくがそろばん塾に通う羽目になったことは既に書いた。実はこの影響には続きがあり、小学5年生でぼくは塾にも入ることになった。当時母親から

「とら、お願いだから塾に入ってちょうだーい!!」

と言われて土下座までされたのである。親に土下座をされるということは人生においてそう経験ができるものではない。そこまで言うならやってやるか、ということで同級生が行っていた塾に母親と面接に行くことになった。申し込めば入れるという塾ではなかったのである。成績の証明ということでそれまでの通信簿を持参して下さいとのことだった。学校の成績はよかったのでそっちの心配はいらないはずだった。


対応したのは校長のA先生だった。何やら難しそうな話をA先生と母親がしている。ほどなくそれは終わって塾側の回答は「検討します」ということで家に帰ってきたのだが、母親が面接中に塾の入り口が汚いとかスリッパが汚いとかいうことを塾長に言ったら「勉強に関係ないことは気にしないで欲しい」と言われ、母親としてはA先生にとにかく文句たらたらだった。これは塾に通わなくても済むのか? いやしかし一度やると決めたのに通えないというのは残念だな、とぼくは思ったが、母親は校長の下にいた副校長のB先生のことも同級生のお母さんからあの人はいい人だと聞いていて、個別にB先生に電話したところ

「校長はああ言ってますが全く問題ないですよ~」

とB先生の営業トーク?に母親はすっかり安心した。そしてぼくも無事入塾できることになったのである。

教科は国語と算数。校長のA先生は国語を担当していた。課題の中に「将来の自分について書きましょう」というのがあり、ぼくは「親の望む高校に入り、親の望む大学に入り、親の望む会社に入る」と3点セットで書いた。褒められると思って提出するとA先生は表情を歪めて

「とら、お前本当にこんなこと考えてるの? 書き直せ!」

と怒られてしまった。この時にぼくは自分の人生に対してこんな考えじゃいけないんだと気づいたのである。だからA先生にはとても感謝している。残念ながらA先生はぼくが中学生に上がる時に実家の漬物屋を継ぐとかで塾をやめてしまった。そしてB先生が校長になった。

B先生は算数を担当していた。「○○だぞ~」が口癖でぼくはB先生を主人公にしたマンガを書き始め、塾のクラスメートに見せて笑いを取っていた。クラスメートと言っても5人しかいない。いわゆる特進クラスというものでその塾の校舎に通う全小学生のトップ5人がいる一番上の国語と算数のクラスだ。だから必然的に中学受験をすることになる。受験対策を意識して授業が行われていた。5人のうち2人は私立志望でぼくも彼らと一緒に進学したかったのだが、ぼくの親は「公立に行け」と言うのであきらめた。それでも残りの3人は力試しということで同じ私立中学の受験をした。全員合格した。ちなみにこのB先生を題材にしたマンガをあやうく本人に見られるところだったがノートにしがみついて必死に抵抗して阻止した。とんでもない内容だったのである。小学校の理科のノートに描いたこのマンガは今でも実家の本棚にある。

小6になると英語のクラスが追加になった。英語は特進クラスはなく、全生徒が同じ教室で授業を受けた。以前からぼくは家に英語の家庭教師が来ていたから英語に抵抗はなかったのだが、Bobと書いてあるのをBodかと勘違いして、

「え、これぼっどて読むのかな?」

と冷や汗をかいたことがある。英語の担当は校長のA先生だった。生徒は全員小学生だからうるさくなることがある。そうなると黒板の前に立っているA先生は手を止め、話もやめて生徒の方を向いてにらみ始める。そしてしばらくすると

「おまえら勉強する気がないなら親に焼き肉でも連れて行ってもらった方がいいよ」

と言う。そうやってA先生はクラスがうるさくなるとしばしば授業を中断するのだった。ぼくはそういうA先生のやり方を知っていたから、彼の授業でふざけたりすることはなかった。


少し塾の話題とは逸れるが、私立中学の入試前に大学でいうオープンキャンパスのようなイベントがあり、小6の時特進クラスのみんなで参加した。そこでその学校の教師が黒板に

3.14159265358979323846 

などと書き始めた。円周率である。参加している小学生達から「すごい!」と声が上がったがぼくは全然すごいと思わなかった。こんなのただの暗記じゃないか。誰でもできらー。そう思っていた。そしてこの教師は次のように言ったのである。

「みんなの学校の先生をすごいと思っちゃいけないよ。そんなことをしたらその先生が行った大学にしか行けないからね。」

ぼくはこの教師の男をとんでもない馬鹿だと思った。ぼくは小学校の先生をすごいと思ったことはなかったが、その先生の行った大学うんぬんなんてことを考えたことはなかった。バカバカしくてこの日の後のことは覚えていない。

受験日当日は塾のB先生が学校まで車で連れて行ってくれて特進クラスのみんなで受験した。そして帰りにご飯をおごってもらって生まれて初めてボーリングもした。B先生は専用のグローブを持っていてなんかそれがおかしかった。もちろんマンガにもした。ガーターばかりで生徒に馬鹿にされ、ボーリング場でぶちきれるという内容であった。

この塾に入ったおかげで基礎学力が確実なものとなった。塾に入る前から計算問題などは親が面倒をみてくれていたが、それが完全に塾に移管された。塾に入るきっかけになった同級生だが、ぼくは彼のことを小馬鹿にするようになってきた。名前の文字ずつを取り、「○という○が○して○った」などと思いついて彼や別の子に言ったところ、彼は泣き始めてしまった。B先生から

「とら君、○○君いじめちゃだめだぞー」

と言われた。実は小学校の下校途中に彼に羽交い締めにされて別の生徒から腹にパンチされるという事象が起きたことがあり、この時ぼくの母親にどうにかしてと申し出ると

「とらはいつも人に迷惑かけてるんだから我慢しなさい!」


と一蹴されてしまい、深層心理でこの同級生に対してあまりいい思いを持っていなかったのかもしれない。そしてぼくの方が勉強ができるようになってきて馬鹿にするようになっていったのだろうか。続きは中1の思い出に書くが、この同級生とは中学で同じクラスになり、ぼくの方が成績が上だった。

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