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ぼくとピアノ(高校)

高1のクラスで席が3つ後ろだったA君は、音楽の授業の前後にクラスみんなの注目を集めていた。高校ぐらいになると特出した能力を持つ人がちらほら出てくるもので、彼はショパンの幻想即興曲を始め英雄ポロネーズ、革命のエチュード、そしてドラクエやFFなどのゲーム音楽まで幅広く弾くのだった。ぼくはA君より全然弾けなくて、それまで中学校では難しい曲といえば乙女の祈りが辛うじて弾けるというレベルだった。校歌の伴奏をしたりして自分では結構弾けると思い込み、ぼくは小さな世界で満足してしまっていた。

それまでショパンなんてよく知らなかった。幻想即興曲は聞いたことはあったものの、曲名や作曲者については気にしたこともなかった。しかしA君が学校で時折演奏するのを実際に目にし、その華麗な手の動きとそれが生み出す魔法のような旋律にぼくは完全に魅了されたのだった。

「世の中にこんな素晴らしい曲があったとは!」

そう思ってこれまでの自分の人生を思い返してみると、この手の音楽、つまりクラシックミュージックのピアノソロの曲で自分が触れたものとしては、月3000円でピアノを習っていた小学校の6年間に、最初で最後の発表会で先生がトルコマーチを弾いたのを聞いたことぐらいだった。

「たしかあの時のビデオがあったよなぁ」


そう思い出して家のリビングのラックを探し、「とらピアノ演奏会」と書かれたテープを見つけ出した。再生してみると寝癖がついた頭で赤ら顔の小学6年生のぼくが、つまんなそうにどうでもいい曲を無言で弾いていた。

「誰これw」

そんなふうにちょっと笑いながら当時のぼくはそれを見ていて、その少年の演奏が終わり、最後に先生がトルコマーチを弾くシーンになった。そこでぼくは驚愕の事実を知ったのである。

「一番難しいとこ飛ばして弾いてないじゃん・・・」

ぼくは血の気が引いた。

「6年間なんてとこで習ってたんだろ・・・」

絶望という言葉がふさわしかった。近くに音大出の先生がいたのにとぼくは悔しくて親を恨んだ。そしてA君を羨ましがった。しかし変に彼をねたんだりするようなことはなく、ぼくはA君と仲良くなってよく話すようになった。ぼくがFFのプレリュードを弾いてA君が高いメロディーを弾くなんていうことをやろうとしたとき、ぼくのパートが間違っていて、彼が

「こうでしょ」

とスラスラ弾いてしまった。ぼくは感心するばかりで彼が過去にどんなピアノレッスンを受けてきたか事細かく聞くのだった。先生宅にはグランドピアノが2台並んで置いてあり、1人1台使うそうで

「本格的だなぁ」

と思った。ぼくは自分がそういうちゃんとしたところで習っていなかったことがもどかしくて仕方なくなった。そんな日々を過ごすうち、もう1回ピアノをちゃんと習って自分もA君みたいに弾けるようになりたい、という思いがどんどん大きくなっていった。そしてついに親に

「もう1回ちゃんとピアノ習いたい」

と言ったのだった。すると母親は

「ピアニストになるわけでもないのに今更やってもしょうがないでしょう。あんた◯Xさんのところで嫌々習ってたじゃないの。」

ぼくは最後の発表会で◯Xさんがトルコマーチの一番早くて難しいところを飛ばしており、いかにレベルの低い先生であったかを強調した。しかし母親は自分の息子にピアノを本格的にやらせる気がそもそもなかった。ぼくは家の近くの音大出の△□先生の名前を出し

「△□さんのとこで最初からやってればよかったんだよ!」

と感情的になった。そうなると話は平行線になる。それでも手を変え品を変え何回もお願いし、A君の話もして何週間もかけて粘り強く説得すると

「ちゃんと勉強もするなら習ってもいいよ」

と最後に折れてくれた。母親もちょとした罪悪感を感じ始めていたのかもしれない。そうなれば話は早い。すぐにその音大卒の先生に電話をし、都合のいい日に一度行くことになった。実は先生とは近所のおばさんとして顔見知りだった。そのおばさん(先生)の家に上がるのは初めてて、先生として接するのも初めてでちょっと変な感じもしたが、今までどうやってきたのだとか、今後はどうしたいのとか、月謝のこととか、通う時間とか色々話した。そして次回来た時にピアノスキルのチェックということで乙女の祈りを弾くことになった。この時点でぼくの家には88鍵の電子ピアノがあるだけだった。母親が安かったからとかの理由で高校に入ったあとぐらいに買ってくれたもので、家にピアノはないけれど当分はそれで練習することになった。

数日後、怖いもの知らずで先生のところのグランドピアノでへたくそな乙女の祈りを弾いたぼくは、そのあとの先生のお手本の乙女の祈りの演奏で身が震えた。

(全然違う! きれい! すごい! 感動!)

素晴らしい演奏を聞いた感動、ここまで曲が美しくなるのかという驚き、過去にここで習えなかったことを後悔する気持ち、今習えているという喜び、そして今からちゃんとやれば過去を取り戻せるかもしれないという期待、そういうものが入り交じった何とも言えない気分だった。

ぼくはA君に憧れていたから、先生に

「ショパンの幻想即興曲とか英雄ポロネーズが弾きたいんです!」

と単刀直入に言ったのだけれど、何事にも順番があるようで、ぼくはバイエルしかやっていなかったからまずはブルグミュラーをやって、それからショパンをやりましょうということになった。普通ならツェルニーとかハノンをやるらしいが、ぼくは最短でショパンに行きたかった。先生もぼくが音大を目指すというよりは大人が趣味で習うようなものだと分かってくれていたのでokとなった。そしてそこからぼくは猛烈にピアノの練習を始めた。

レッスンで最初にやった曲はブルグミュラーのアラベスクだった。チャンチャンチャンチャン♪、タララララ♪、タララララ♪というあれである。こんなの簡単だいと思うなかれ。指には鍵盤に接触する点であるタッチポイントというのがあり、それらは指ごと全部違うとのこと。第三関節をが山になるように意識して弾く、手首を柔らかくし、スラーの始まりで手首を下ろす、スラーの終わりで手首を上げる、指を開く為の指の体操、筋力の付け方、椅子の高さ、座り方、等々、それまで月3000円で習っていたところでは一切考えなかったことをいろいろ教えてもらった。

「こんなやり方があったのか! たしかにその通りにやってみるとうまく聞こえる!」

目からうろこだった。そうやってぼくは母親との勉強するという約束はほったらかし、1日何時間も電子ピアノで練習をするようになった。ブルグミュラーをやりながら幻想即興曲を弾きたいという思いはずっと持っていて、よく電子ピアノの自動演奏を聞いていた。

月日が経ってブルグミュラーが無事終わり、音楽的に弾くということが段々分かってきた。これでようやく幻想即興曲ができるかと思ったら、先生は

「まだちょと早いから違うのをやってみましょ」

と言うのですごく残念だった。ピアノの発表会もあるとのことで、それに向けての候補としてショパンのワルツがあがった。ぼくはその中でOp.64-2を選んだ。なかなかいい曲だった。これをクリアしたら次こそはと思い練習を始めた。高校でA君にやっとショパンができるようになったよと言うと

「おお、じゃあこれがお手本だー」

と言ってワルツを弾いてくれた。しかしそこはやはりぼくの習っていた先生の方が上手だったので、ここはこうしたほうがいいって言われた、ああしたほうがいって言われたとA君に伝え、2人で盛り上がるのだった。

そんな中、ぼくはどうしても自分のピアノが欲しくなってきた。家にあるのはオルガンと電子ピアノ。学校では音楽室や体育館の舞台のピアノをちょっとした空き時間に弾いたりはできたものの、一番練習に時間をさく家でピアノがないというのは痛かった。そこでぼくはまたしても親に頼むことにしたのである。

「ねえ、ピアノ欲しいんだけど・・・」

「私はねえじゃないよ! あんたの母親だよ!」

やってしまった。いきなり怒らせてしまった。母親はまたか!という感じだった。でも断られればさらに欲しくなる。先生もピアノがないとだめだって言ってるとか、親が子供にピアノ習わせる家は絶対ピアノがあるとか、勉強するから買って欲しいとか、いろいろあることないこと言いまくった。それでも母親は全然折れなかった。というのはぼくの家は木造で、しかもぼくの部屋は和室だったのでピアノを置こうとしてもちょっと微妙、という事情もあったのだった。

どうしても自分のピアノが欲しい・・・。ぼくは親の言うことにあまり逆らわないように心がけて生活するようになった。

「いいでしょう?」

そうやって猫みたいにやり続けて、だんだん母親も態度が柔らかくなってきて、

「いくらぐらいなの?」

と聞いてきた。しめたと思った。ぼくはグランドピアノでなくてもとにかくピアノが欲しかったから50万ぐらいと安い値段を言い、ピアノに対して悪いイメージを持たれないようにしたのだった。

そんな折リビングの床をリフォームするという話が持ちあがり、かねてより洋室を希望していたぼくもそこで

「とらの部屋も畳からフローリングにしてーw」

とどさくさまぎれに言ったのだった。そうしたら父親も意外なことにokを出してくれて、将来ピアノを置くかもしれないから床の強化も一緒にやっちゃえば?ということになり、あれよと言う間にフローリング化とピアノ購入にokが出てしまった。しかし油断はできない。ぼくが友達に誘われてそんなに乗り気ではなかったサバイバルゲームに付き合いで行くと言うと、

「そんな危ないの行ったらピアノはなしだよ!」

と母親が脅してきた。ぼくは違う遊びに行くと言ってなんとか家を出たのだが、「~やったらピアノはなし」と言われることが本当に多くなった。まさに条件付きの愛である。家のリニューアル工事が始まり、フローリングはできつつあるのに全く油断ならなかった。

そしてついにピアノを買う日となり、家族でピアノ屋へ向かった。先生によれば生徒の家はグランドピアノを買うことが多く、本当に気に入った1台を見つけるのにわざわざヤマハの工場まで品定めに行くとのことだったが、ぼくはそこまでして自分に合うピアノを欲しいとは考えていなかったので近所のピアノ屋で十分だった。アップライト、グランド、いろいろあって、見て弾いて触っていろいろやっているうちに一台のピアノの音色がすごく気に入った。色はマホガニーで普通のアップライトのピアノのように見えるのだが、正面から見るとフタの部分がグランドピアノのようになっており、楽譜置きも上に配置されていて店員によると「セミグランドタイプ」というタイプのアップライトピアノということだった。聞くと木の部分は中古で、中の機械部分はすべて新品のリニューアル品だという。値段は70万円ぐらいだった。ぼくはこれに決めた。ヤマハではなくカワイだった。それは気にならなかった。親は現金ですぐに買ってくれた。

しばらく経ってピアノが家に運ばれてきた。ピアノを置く部分が強化されたフローリングのぼくの部屋に、赤っぽい色をしたでっかいピアノが運ばれてきた。嬉しかった。調整してもらって業者が帰ったあと、ぼくはしばらく恍惚としていた。やっと自分のピアノが手に入ったのである。毎日弾きまくった。先生もぼくがピアノをゲットしたことを一緒に喜んでくれた。

実はぼくはこの音大卒の先生のところで習うにあたり、中3の時の同級生を誘っていた。彼は家にピアノがあってちょっと弾ける人だったのだけれど、もうちょっと本格的にやりたかったらしく、誘ったらのってきて一緒に習うことになった。この同級生とは発表会で連弾もやることになった。最初ドラクエ3のエンディング曲「そして伝説へ」をやろうと思って楽譜を先生のところに持って行ったのだが、

「うーん、これはちょっと難しすぎるねw」

と言われて却下された。そしてモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークをすすめられたのでそれをやることにした。ぼくがピアノを買って家も先生の家から近かったから、この同級生はぼくの家に寄って2人で連弾の練習をした。

「早く弾けるなら間違いないよね?w」

と馬鹿な事を考え、アイネ・クライネ・ナハトムジークをクソ早く弾くという練習を笑いながらやったりして楽しかった。先生のところでも練習で2人で弾いていたのだが、笑いをこらえるのが大変だった。特に先生が

「そこ早くならない!」

などと言おうものなら吹き出しそうになった。

練習を続けているうちに夏休みになり、ピアノの発表会の日になった。場所は中学の合唱コンクールでぼくが伴奏していたのと同じ市民会館。ただし大ホールではなく小ホールだった。ぼくの母親が以前のピアノの先生である◯Xさんを誘ったのだけれど来なかった。

当日の服装は何でもいいと先生が言っていたので、高校2年生だったぼくはサンダルにハーフパンツ、半袖という小学生のような格好で行った。同級生は普通の私服だった。そして先生はどこからかレンタルしたのだろうか、紫のすごいドレスに、いつもは眼鏡なのにコンタクトを入れて眼鏡はかけていなかった。ばっちりきめていた先生はぼくを見るなり

「え? とら君! まさかその格好で出るの!?」

「あ、はい。あの~何でもいいということでしたので」

「www ちょっとそれはまずいわねーw」

意外だった。しかしまわりをよく見ると小、中、高校生と、集まった人の中でサンダルはぼくだけであった。しかも中学校の先生の子供も同じ先生のところで習っていて、その先生も来ていて視線が気になった。

「うーん、じゃあ家に帰って靴はいてきます!」

そう言ってぼくは自転車で家に戻り、ハーフパンツと半袖は取り替えずに親がハワイで買ってきてくれたナイキの靴だけはいて戻ってきた。その後は何も言われなかった。そして発表会は始まり、自分の番がやってくるまで緊張して待っていた。そしてぼくの番になりショパンのワルツOp.64-2を弾いた。途中まではよかったのだが最後の最後でつっかえてしまった。そして同級生との連弾の方は途中で止まってしまったw でも変に緊張はしなかったし全体的に楽しめたのだった。なお先生はショパンのエチュードOp.25-1(エオリアンハープ)を開始一番に弾いていた。ずるいよなぁ、最初に弾いちゃうのは。その後緊張しないもんね。

実は発表会は個人で2曲弾くことになっていて、ぼくはショパンのワルツに加えてエヴァの綾波レイのテーマを弾く予定になっていたのだが、先生の教え方がクラシック音楽そのもので

(エヴァの音楽にそこまでやらなくてもw)

と練習中に思ってしまい、2曲はやめてワルツ1本でいくことにしたのだった。同級生は2曲目に残酷な天使のテーゼを弾いていた。そんなこんなで小6の時のピアノの発表会とは180度違う、本当に楽しい高2のピアノの発表会だった。この時の演奏は先生のだんなさんがMDに録音しており、今でも家にあるから聞くことができる(動くMDプレイヤーはもうないが)。このMDを先生から借りてコピーし終わった時、先生に戻さないでそのまま同級生に貸したことについては先生に注意された。

発表会の後の曲は幻想即興曲ができることになった。ぼくは嬉しくて毎日何時間も練習した。この曲を弾ける段階で一番嬉しい瞬間というものがある。それは右手と左手が合った瞬間である。ピアノを弾いている人なら分かると思うが幻想即興曲は左手が6弾く間に右手が8弾くのだ。つまり比率が3:4になっており、1:2とか1:3ではない。これが最初は合う気がしないで片手で練習するのだが、やっているうちに合うようになる。その瞬間が一番嬉しい。

「あ、ちゃんとした人が弾いているのと同じように聞こえた!」

となるのである。最初ができてしまえば後は流れるようにできる。あっという間に弾けるようになってしまった。その時の感想としては

「幻想即興曲ってそんなに難しい曲じゃなかったのね」

であった。この曲が弾けるようになったことでぼくはA君と同じステージに立てた気がした。彼は音大を目指すかどうか悩んでいたがピアノのレッスンはやめてしまっていた。一方ぼくは音大に行く行かないは知らないが、毎日夢中で練習してレッスンにも通っていたのである。そして次の曲はリストの愛の夢をやることになった。この曲はA君は弾けなかった。ぼくは前にも書いた高校時代の恋のこともあり、朝早く学校に行ったりした時に音楽室のグランドピアノでこの「愛の夢」を叶わぬ恋を表現するものとして弾いていたのであった。

この頃、先生に

「今からピアニストになれますか?」

と聞いてみた。するとそれは才能によるということだった。自分に才能があるかについては聞かなかった。

愛の夢も終って、

「次は革命のエチュードがやりたいんですが」

と言うと、あまりいい顔をされなかったが先生からokが出た。家でカフェインの錠剤を10個ぐらいコーヒーで飲み干し、頭が冴えに冴えて、最初の早いところをあっという間に弾けるようになったのを今でも覚えている。先生のところでは片手ずつ弾いていて両手ではまだ弾く段階になかったのだが、家では早いスピードで両手で合わせて練習していた。そして革命も弾けるようになった。

この頃高校で学園祭があり、クラスの出し物はさぼってぼくは近くの共学の学祭に遊びに行ってしまったのだが、終わり頃には戻ってきた。というのも後夜祭でぼくがピアノを弾くことになっていたからだ。この後夜祭は男子校だけあって何でもありのどんちゃん騒ぎである。最初はおとなしく始まるのだが、終わりに近づくと3年生が舞台に上がり、上を脱いだりして騒ぎ始め、先生を呼び捨てにして

「○○上がってこい!」

などと怒鳴るのである。先生は行かないわけにはいかず、舞台に上がると生徒につつかれたり胴上げをされたりしてもぼろぼろになってしまう。スーツはしわくちゃになり、メガネもまがってしまうことすらある。そんなはじけすぎるイベントが毎年恒例になっていた。その後夜祭のトップバッターとして何かやらないかと実行委員に言われ、ぼくが幻想即興曲を弾くことになったわけである。幻想即興曲はレッスンが終ってしばらく経っていたから先生のところで何回かまたレッスンをしてもらって望むことにした。

当日後夜祭が始まってすぐ、数人の生徒がグランドピアノを体育館の舞台中央に運び出した。そこに物理の先生の顔写真を拡大コピーして作ったお面をかぶったぼくが登場する。そしていきなり幻想即興曲を弾き始めた。すごく緊張したけれど失敗することなく弾き終わって拍手喝采であった。この時は本当に気持ちがよかった。自分が習いたいと思う本格的なところで習ってよかったと心の底から思うのだった。

そして季節は冬になった。ここで問題が起きた。ぼくの部屋は北側にあり、エアコンをつけるとピアノが結露してしまったのだ。これがひどい結露で調律師に見てもらった所、分解が必要なほど中が濡れていてハンマー部分が回収修理になってしまった。これはまずい。家族で色々話した結果リビングにピアノを移動させることになった。自分の部屋にピアノがないのは寂しいが、リビングは結露しないからピアノにはいい。

調律師とのエピソードもある。1年経って別の調律師が来た際、

「低音の1鍵だけかすれた音がするから見てくれませんか?」

とぼくが言うと、弦を引っ張ったりゆるめたり散々いろいろやってそれでも直らない。結局弦を取り替えるということで後日新しい弦をつけに来たのだが、それでも直らない。また来ますというのでその時は帰っていった。ぼくはもどかしくなって自分で原因を突き止めようと思い、ピアノを開けてドライバーでいじり始めた。するとハンマー部分の接触が問題で弦ではないことがわかった。そして自分で直してしまった。そのことを調律師に言うと、

「ほんとですか? すぐ伺います」

となって飛んできた。そして弦の問題でなかったことを本人も確認できたようで、交換した新しい弦を古いものに交換して元通りにしようとしたので、ぼくは

「あなた散々いじって直らなかったんですから、その新しい弦置いていってくださいw」

と言ったのだった。その調律師は気まずそうな顔をしていたがokしてくれて弦をタダでもらうことができた。だって何回もひっぱったりゆるめたりした弦じゃ嫌だもんね。

先生とのエピソードとして覚えているのは、ぼくがたねやの水羊羹の容器を使って家で水羊羹を作っていてレッスンに遅れてしまい、羊羹作っていたからって遅れちゃダメと注意されたこと。それから

「家で練習するときは弾けたんですが~」

と言うとそういうのは言い訳にならないと注意され、厳しいところは厳しい先生だった。ただ話が長いのが玉にきずで、先生も先生向けの先生の所に通っており、クラシックの協奏曲などを聞いて楽器ごとに聞き分けるとか色々な課題を今でも取り組んでいる話とかを聞いてて興味深かったが

(うーん、ちょっと長いかな。。レッスンもうすぐ終る時間だけどなぁw)

ということがしばしばあり、あまり質問をしないで切り上げる技術もぼくは身につけたのだった。爪が長くてその場で爪切りを渡されたこともあり、ぼくは玄関で切っていたのだが玄関の下に落ちてまずいと思ったので外に出て切ったこともあった。

そんなこんなで次の曲をやる時期になった。

「舟歌がやりたいんですが」

と言うとNG、また

「英雄ポロネーズがやりたいんですが」

というとまたNGであった。どうしてダメか聞いたら先生も弾いたことないからとのことだった。そういうこともあるんだね。そして別れの曲をやることになった。この曲は和音が多くてその中でメロディーを出すので難しい。そして中間部分はぼくはあまり好きではなかった。その中間部分にさしかかったあたりでぼくはこの曲の練習が嫌になってきてしまった。

それからが早かった。

「もうピアノやめようか」

そう思ったのである。もう高3になっていたし、親も勉強しろとうるさい。幻想即興曲も革命も愛の夢も弾けるようになったし、英雄ポロネーズは習っていないが自分で最初の所を弾けるようにしたし、もうA君と同じかそれ以上のところに来たんじゃないか。そう思ったら一気に冷めてしまった。そして先生の所に電話を入れ

「もうやめます」

と言ったのだった。あれだけ熱中しておきながら最後はあっけなかった。親も床を直してピアノを買ったのになんでやめるんだとは言わなかった。むしろ一日に何時間もピアノを弾くものだから、やめて勉強に打ち込んでもらったほうがいいと考えていたようだった。ぼく自身も大学受験のこともあるし、後で書くが高3になってバイトもやめたので、ピアノもやめてそろそろ勉強するかなと思い始めていたのもあった。

そういうわけでぼくはぱったりピアノをやめてしまった。小学校での6年間、レベルの低い先生のところで習ってしまったことが心残りだったのが、高校に入ってA君と知り合って刺激を受け、近所の音大卒の先生のところで習い、ピアノも買ってもらい、発表会にも後夜祭にも出れてもう満足してしまったのだろう。A君も音大志望ではないし何かすごい曲に挑戦している気配もない。ぼくは競い合える相手がいないと燃えない人なのだった。

それにしても「子供に本物を触れさせる」ということは大切である。それがどんな些細なことであっても二流、三流はだめなのだ。そうしないとぼくのように心にわだかまりを残すことになる。

ぼくは自分の子供には最初から一流のものに触れさせたい。

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