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ぼくと電子工作(中学)

中学校になると部活が始まり、勉強も忙しくなるので電子工作をやろうという気はあまり起きなかった。中1になりたての頃は勉強してテストで点数を取ることの方が面白かった。そしてだんだん化学に興味が出て、これについては後で書くが、電気分解でどうにか水酸化ナトリウムが作りたくて石綿を探していた。しかし手に入らないのでただの塩水の電気分解になってしまい、塩素と水素が得られるだけだった。この時は単一の電池を分解して中の炭素棒を取り出して使った。電池の分解にニッパを使ったらそのあとニッパが錆びだらけになってしまった。

それでもたまに思い出したように人を驚かせたいのか、ちょっとしたものを作ることはあった。作ると言っても自分で回路を設計したりキットと何かを組み合わせてシステムを作る、といったようなことではない。例えばやったのは、壊れてもいいスーファミを電池駆動できるようにして外で遊んだことだ。秋葉原の駅前のパーツ屋が密集しているところで単一の電池が6本入る電池ボックスとアダプタの先を買い、近所の電気屋でぼろい液晶テレビを1万2千円ぐらいで買った。スーファミからの映像及び音声はRF出力を使い、液晶テレビとはミニプラグで接続。スーファミの電源を入れた状態で液晶テレビのチャンネル走査をすると、2チャンネルのところでゲームが映って音も出た。これを合宿の時や部活の大会の時に持参し、見せびらかして面白かった。ただし液晶テレビが小さく解像度もかなり粗かったので、まともにゲームをプレイするというレベルには至らなかった。音楽を聞くぐらいにはちょうど良かった。結局これは見せ物でありそんなに長い時間駆動しなかったので単一の電池が切れることはなかった。




小学校の時に作ったFMトランスミッターのキットはたまに動かしていて、部活で別の学校に行って大会に参加した時に父のポータブルラジオと一緒におもちゃとして持って行った。このラジオを同級生に持たせてイヤフォンをしてもらい、遠くに行ってもらう。ぼくがこちらからFMトランスミッターにマイクで

「ジャンプして」
「回って」

などと言うと、遠く離れた所で太った同級生がぼくの指示通りに動いた。それを見た別の同級生達は何をが行われているのかと興味津々だった。なおこの時操作の対象となった同級生は大学卒業後外資系医療器具メーカーに就職し、手術に立ち会って外科医に指示を出す仕事をしているという。

中学校になると小学校の図工にあたるものが美術と技術に分かれた。技術の授業で時計を作る実習があり、市販の電池駆動の時計ユニットを自分で絵を描いた時計版に取り付けるだけの教材かと思いきや、CdSの光センサーによって暗くなると裏側の100Vの電球が付いて、時計版に突き刺した光ファイバーのような太いプラスチックの棒を通じて時計版が光って見えるという結構手の込んだものだった。技術の先生が

「電気の100Vの線を剥いた時に細い銅線が1本でも切れたらアウトだから!」

などとあれこれ説明している間にぼくは電気・電子回路部分は作り終わってしまった。そのことに先生は遠くから気づいたらしく

「みんな光センサーは足を残して取り付けるようにね。とら君! 残念でした~!!」


とあっかんべ~でもしそうなくらいの皮肉を込めてクラスのみんなの前で先生は言った。でもざんね〜ん、ぼくはそのことは知っていたのでちゃんと足を残して光センサーを基盤にハンダ付けしていたのであった。しかしぼくは自分がちゃんとやっていたことは申し出ず、クラスのみんなに「あの人は早くやり過ぎておかしなふうに作った」と思われたままだった。

こんな感じで中学の時はさほど作りたいものがあるわけでもなく、授業でやったりたまに秋葉原に行った時に気になるキットがあったら買って作る、という程度だった。

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