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スイミングスクールでの嫌な思い出といたずら(小学)

小1からスイミングスクールに通わされていた。母親が、水泳をすると風邪をひかない丈夫な子になるからと思っていた為である。

最初に通っていたところは仲のいい友達もいたのでそれなりに楽しかった。今思い出したのだが、プール内で勢い良く水が吹き出している所があり、そこに股間を当てていたらなんとなく変な感じになったので、家でもシャワーのノズルを外して同じようにしてみようと興味本位でやっていたのが自慰行為を覚えるきっかけになったと思う。小2の時である。

小3からはスイミングスクールの校舎(といってもプールだが)が変わってしまい、環境が全く異なるものになってしまった。仲のいい友達はいなくなるし、母親の送り迎えはなくなり、バス通いになった。そして先生(コーチという呼び方には抵抗があった)が怖いのだ。新井というのがいて記録会に出ろ出ろいって非常に嫌だった。汚い言葉で強制してくるのだ。準備体操もラジオ体操をやるのだが、ここはちゃんとかかとが上がってないとやり直しとか言っているし本当に嫌だった。

さらに運の悪い事にぼくは小3で小学校のクラスから孤立してしまっていて、小学校ではつらいし、プールでもつらいしと二重苦となった。ぼくがいたずらっ子ということがみんなに分かってしまっていたのか、普通は2人組でペアになって25mを泳ぐのに、ぼくの隣にはいつも誰もいなかった。1人で泳いでいたのである。ぼくは泣きながら泳いでいたことを今でもはっきりと覚えている。ゴーグルは付けないから好きなだけ泣いて、その涙がプールの水と一緒になるのだった。目が多少赤くなっても泣いていることはばれないから安心して泣く事ができた。


たまに泳がないで見学することもあった。プールと同じ長さの廊下に置かれた長椅子に座り、みんなが泳いでいるのを見ているのだ。その時何を思ったかぼくは更衣室に入って行った。誰のものかも分からない荷物をあさり、パンツを取り出した。白いパンツにはおしっこの黄色いシミがついていた。建物の外側に面しているのは女子更衣室なのでそっちにも忍び込んだ。そして同じようにパンツを取り出してシミを確認した。そしてぼくは非常用の排煙装置の鎖を引き、上部の窓を開放した。そこから盗み取ったパンツを外に投げ捨てた。

水泳が終わって戻って来たら自分のパンツがなくなっている。誰がそんな状況になるのかほとんどくじ引きみたいなものだが、ぼくは何食わぬ顔で見学をしているのだった。終わりの時間が近づいて、水着が濡れていないと見学したことが母親にばれると思い、トイレで水着を十分に濡らし、タオルも適度に湿らせてからいつものビニール袋に入れた。

そんなに見学の回数は多くなかったが、たまに見学した。そのうち見学している時間がもったいないと思うようになり、歩いて家まで帰ることにした。この時は一緒に通っていた弟を誘い、一緒に水着を濡らしてからスイミングスクールを後にした。近くの駄菓子屋で菓子を適当に万引きして2人でそれを食べながら、なっていたトウモロコシなども適当に取るなどのいたずらをしつつ、怪しまれない頃合いを見て家に帰った。かなり距離があるのでこれをやったのは1回だけだった。母親には全くばれなかった。

通常はバスでの送り迎えである。このバスもいい思い出がない。ひとつ学年が上の男児が小さなガンダムか何かのプラスチックのおもちゃを袋に入れて持ってきていて、

「いいだろー」

と自慢していた。それが面白くなかったぼくは彼がみんなにおもちゃをまわして見せて自慢している時、いくつかくすねて分からないように窓から投げ捨ててしまった。ばれないと思ったが彼には分かったらしく

「お前取ったろー」

とすごい真剣な表情で聞いてくるのだが、ぼくは両手を開いてみせて

「何にも持ってないよ」

と言うのだった。同じ小学校の子も多かったので、ぼくがいたずらっ子だということがみんなに知れ渡っていたから、あいつには気をつけないと、という空気をみんなが共有していた。そしてぼくは運も悪いのか、例えば窓を開けてつばをぺっと吐いたら後ろの方で窓を開けて顔を出していた女児の顔にもろにかかってしまい

「うげー、とらのつばがかかった~」

ということが起きてしまっていた。そういうことが起きる度に被害にあった子供はバスの運転手に言いつけるのである。そしてその運転手が

「またとらか!」

とぼくを叱るのだった。それがスイミングスクールの先生である新井などに伝わり、ほかの子にも伝わり、悪循環だったのである。ぼくもぼくで引かない性格だから、運転手が困ったら面白いと思い、自動ドア近くにある自動/手動の切り替えスイッチを手動にしておいた。すると家の前に来て子供を下ろそうとして運転手のオヤジが運転席からドアの開閉スイッチをカチカチ操作しても、ドアがうんともすんともいわないわけだ。ざまあみろと思ったが、こういうことをするのはとらしかいないとみんな分かっていたので

「とら、お前またなんかやっただろう!!」

と怒り出すのだった。そんな事が本当に多かったので、本来であれば線路の手前側に家がある子供をすべて送り届けてからバスは踏切を通って向こう側に行き、最後のあたりでぼくの家に着いてぼくと弟が降りるのに、線路の手前でまだ子供がいっぱい乗っている状態で、

「お前らはここで降りろ!」

と運転手に言われたのだった。ぼくとしてもこの運転手のオヤジも中の子供も嫌いだったから、見える距離に家があって踏切を渡ってちょっと歩けば家だし早く帰れるから降りてやるよこの野郎、という具合で毎週そこで弟と降りるようになった。


そんなこんなでスイミングスクールは6年生で小学校を卒業するまで通い、一番上のクラスまで行ったが好きとかそういうことは全くなく、いい思い出なんか何にもなかった。唯一あったとすれば、それは泳いだ後にセブンティーンのアイスクリームを買って食べるという贅沢をすることぐらいだった。

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