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ドラクエ10のコンサートで感動できなかった3つの理由

今日でぼくが京都であったドラクエ10のコンサートに行ってからちょうど1年になります。1年前に感じたことを自分だけのノートに書いておいたのですが、思い切って公開することにしました。



なんかもやもやするから今日のドラクエ10のコンサートで素直に思ったことをこれから真面目に書こうと思います。ぼく個人の見解なので、不快に思われるかもしれませんがご了承くださいね。



今日のコンサートが2013/5/5に東京であったロンダルキア吹奏楽団のドラクエコンサート(ドラクエ1〜6)ほど感動できませんでした。涙もろいぼくが5/5は泣いたけどすぎやまこういち氏が指揮した今日のコンサートでは泣けなかった。この理由を分析したいと思います。

まず考えられるのは、ぼくはドラクエ10のCDを持っていて、既に何回もオーケストラ音楽を聞いていて頭が慣れてしまっていたということ。それから 27,000円という京都までの往復交通費にコンサートチケット代の5,000円を足すと3万円を超えてしまい、ちょっと高いなと思っていたこと。そして有料コンサートなのに音を外している箇所があったこと、の3点です。でもこれらは理由として違う気がしました。

コンサート会場で次々に演奏される曲を聞いても、すぐに何かのシーン(絵)が頭の中に思い浮かばなかったのです。もしシーンが思い浮かんでもそれに付随するストーリーをすぐに思い出すことができませんでした。ですので感動が希薄だった1番の理由は、音楽を聞いても感動の記憶が呼び起こされない、ことではないかと思いました。




ドラクエ10は楽しい。特にフレやチムメンとの交流はこれまでのドラクエになかった楽しみを提供しています。ただしそれらは楽しみであり、感動とはちょっと違う気がします。

実際は楽しみだけでなく感動もちゃんとありました。でもぼくの場合ストーリーからくる感動は一部のみで、得られた感動の多くはプレイヤー、つまり生身の人間とのふれ合いからくるものでした。そんなシーンにおいて人とのふれ合いと音楽との結びつきはあまりなかったように思います。チームでの感動のシーンは思い出せても音楽までは思い出せないのです。あのシーンはアズランの住宅村だったからあの音楽かな?程度なわけです。

さらにこれらの感動の記憶は単発かつぼく固有のもので、自分から積極的に思い返したり他人と共有するなどして強化し続けない限り、時間の経過とともに風化しまう性質のものだと思います。

ここまでをまとめると、

・楽しいがストーリーにはあまり感動しない
・人とのふれあいからくる感動と音楽が関連していない
・感動の記憶の風化が進んでいる
・音楽がその感動の記憶を呼び起こせない

となり、コンサートにおいてあまり感動しなかったのだと思います。


ここでドラクエ5を例に挙げてみましょう。感動体験(パパスとの別れやビアンカとの再会、天空の剣を見つけるシーンやマーサとの再会等々)は全プレイヤーが共通して得る体験であり、その体験の記憶はネットや現実世界でことある度に思い出されて強化されうるものです。さらにこれらの記憶はいくつかを呼び起こせばストーリー全体が蘇る、そんなもののように思いま す。その記憶の呼び出しのプロセスを起動させるものが言葉であったり画像であったり音楽であると思います。

実際ロンダルキアのコンサートで「結婚相手がビアンカだった人?」と質問がなされました。こういったことが現実世界では度々起こりますので、ビアンカかフローラを選んだことや選ばれなかった方は結婚後にさびしく暮らしていたな、などとストーリーの一部を思い返すことができます。

次に以下をごらんください。



 


いかがでしょうか? この2枚の画像からエンディングのシーンが頭に浮かんだでしょうか? 逆にこれだとどうでしょうか?


 サラボナでの結婚前後のストーリー、それからエンディングのシーンが頭に浮かんだのではないかと思います。


一方のドラクエ10はゲームシナリオが細分化されており、各シナリオは整合性を優先した最低限の共通性しか持っていないように見えます。各シナリオはクエストという形でゲーム上で展開され、特定のクエストを結合するとメインストーリーになっている、というような印象を受けます。

またプレイヤーのスタート地点の町が違い、シナリオの進め方も人それぞれである為、これまでのドラクエシリーズのように全プレイヤーが同じ時間軸に沿った状態でゲームを進めるわけではなく、倒したボスを何度も倒せたり、自分は初めてなのに手伝ってくれたフレはもうそのボスを倒していたりと、楽しさと感動がトレードオフになっている感があるように思います。

さらにMMOとして長く遊んでもらうことを前提としている為に時間軸がかなり長くなり、ストーリーの記憶が薄れてくるという指摘もあるでしょう。

またドラクエの世界観という点からは、開発陣が「種族が5つあったほうが面白い」と発言していることからも分かるように、ストーリーで感動を呼び起こすというよりはMMOとして面白いことを優先した世界観が設定されているように思われます。





というわけで、ロンダルキアのコンサート(ドラクエ1〜6)の方が感動した理由が分かってきました。世界観に支えられたストーリーと強固に結びついた音楽が、観客や演奏者が共通して持っている記憶を強烈に喚起して会場で一体感を生み出したから、であろうかと思われます。



以上すべてをまとめると、今回のドラクエ10コンサートでそんなに感動できなかった理由は


1.  ゲームコンテンツがMMOとしての楽しさを優先したものであり、ストーリーからの感動が少ない

2. 感動の多くはプレイヤーとのコミュニケーションによってもたらされており、それらは音楽との結びつきが希薄である

3. 音楽だけでは風化の進んだ感動の記憶を呼び起こせない



だと思います。


対策としてコンサートをオフ会の場とするというものが挙げられるでしょう。こうすることでいつも感じている楽しさを感じることができ、そこに音楽が加わって忘れられない思い出になるのではないかと思います(๑´ڡ`๑)


おわり 



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